地場産業っていうけれど・・・
「山を掘るのは瀬戸市の地場産業だから・・・」。
ホフマンの森の開発問題が浮上したとき瀬戸市内の何人かの方からこのような反応がありました。そのあとに「反対することは出来ない」という言葉が続くことは実際に声に出されなくても分かりました。
事業者側から見れば「我々は地場産業だ」と宣伝することで、「地元は多少の迷惑は我慢するのが当然だ」という結論が引き出されてしまう仕掛けです。
しかし、本当に「地場産業だから」とすべての思考を停止してもいいのでしょうか。水俣病の原因物質である有機水銀を放出したチッソ水俣工場を「地場産業だから」と行政機関が擁護した結果、
被害を深刻にしてしまった事例を私たちは知っています。その教訓がここでは活かされていません。
そもそも珪砂採掘は瀬戸市の地場産業なのでしょうか。瀬戸の地場産業は窯業ではなかったのでしょうか。その土地に立地した産業なら何でも地場産業なのでしょうか。
「地場産業振興のため珪砂採掘にご理解を」というとき、珪砂組合は自ら地場産業と称しています。瀬戸市の地場産業は一般に窯業とされていますから、たいへん違和感がありますが、
そこには珪砂採掘業にある種の権利をもたせたいという意図を読みとることもできます。
ただ彼らは地場産業といっても窯業と珪砂採掘業との間に大きな違いがあることを述べようとしません。
まず窯業は瀬戸市で800年の歴史を持つ産業です。そこには800年にわたって枯渇しない資源があったこと、そしてまた窯業関係者が良質の資源を浪費することなく、
最大限に利用してきたことが読み取れます。陶土を茶碗や皿などに加工して付加価値を高め、ときには一基数千円から数十万円もする製品として世に送り出すためには天才的な陶芸家いただけでなく、
陶土を掘り出す人、陶土を運搬・販売する馬方、ろくろ本体を専門に製作する職人、陶磁器の絵付けに使う筆や絵の具専門の商人、ノベルティなどの原型を製作する職人、
さらに原型から石膏型を製作する職人などさまざまな専門業者が存在し、裾野の広い業界を形成してきました。窯業関係の従事者は昭和40年に17.000人を超えていました。どれほど地元が潤っていたことでしょうか。
瀬戸市が今日存在するのは、陶磁器産業があったからといっても過言ではないでしょう。
近年窯業界は輸出不振で従業者数が3500人前後に減少、製造業の中でも化学・金属製品・機械製造業などに抜かれて4位に低迷、業界の存続に危険信号が灯っていますが、
全体としてなお年間484億円(平成18年)の売上があります。
地場産業としてこれほどまでに成功した例は全国的にも稀でしょう。
それに対して珪砂採掘業は、猿投山の山中で珪石を探していた黎明期から通算してもその歴史は120年、100万トンを超える今日の採掘規模になってからはまだ30年程度です。
しかも高度に付加価値を付けて販売する窯業とは違い、減量のまま販売される珪砂は価格の低迷に悩まされ、大量生産を余儀なくされた結果、資源の早期枯渇を招きました。
単純に量を比較しても陶器の生産は年間10万トン前後で500億円前後の売上があるのに対して、
珪砂の採掘量は100万トンもありながら、その製品出荷額は30億円前後のようです。地場産業としての裾野の広がりがないからです。
瀬戸市でこの程度の売上規模をもつ業種は食品、木材、プラスチックなど、いくらでもありますが、それらが地場産業といわれることはありません。
瀬戸市の環境は800年の陶土採掘の上に成立した自然ですから、ある程度の人為的なかく乱はすでに織り込み済みです。
陶土を取り続けていても存続しうる自然が成立していることは歴史が証明しています。
しかし、その瀬戸市の自然にとっても150万トンの採掘は初めてのことです。これに耐えられる自然環境が瀬戸市にあることはまだ証明されていません。
100万トンの珪砂採掘を続けることによって瀬戸市の自然は着実に削られ、荒地ばかりの極めて低レベルな生態系が成立しつつあります。
陣屋鉱山の周辺を見てください。そこにあるのはメリケンカルカヤ、ヤハズソウなど外来雑草ばかりで、瀬戸市の本来の自然の片鱗すら残っていません。
さらに深刻なのは巨大な採掘跡地が埋め戻されないままに残っており、将来にわたって穴のまま残すか、産業廃棄物処分場に転用するくらいしか将来像がないことです。
珪砂採掘が最盛期の30年間に瀬戸市にある程度の貢献をしたことは分かりますが、貢献した年数以上の永い年月にわたって瀬戸市を苦しめるであろう負の遺産を作っています。資源の枯渇が近い今こそ、そのことを考慮すべきです。
瀬戸市に立地するという意味では珪砂採掘も確かに地場産業のひとつかもしれません。しかし、陶器生産と同じ意味合いで地場産業と表現することは適切ではないようです。
私には「地場産業だから」のあとに「地元にはある程度の貢献をしている。しかし、地元に相当の迷惑を強いていては存在している意味がない」という言葉が続くのがむしろ本当のあるべき議論ではないかと思われます。さらに続ければ、「地場産業」とは地元に貢献する度合いが、地元に及ぼす迷惑よりも限りなく大きいものであり、かつ前者を極大に、後者を極小にせんとする企業努力に尊敬をこめて与えられる称号でなければならないと思われるのです。
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